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  1. 仙台市議会 2010-11-12
    防災・危機対策調査特別委員会 本文 2010-11-12


    取得元: 仙台市議会公式サイト
    最終取得日: 2021-07-24
    1:                 ※会議の概要 ◯委員長  ただいまから防災・危機対策調査特別委員会を開会いたします。  説明員の出席についてでありますが、本日は説明員として、消防局から局長ほか関係職員の方々に、また、危機管理監並びに総務局から関係職員の方々に出席いただいております。  次に、本日の委員会の進め方についてであります。  本日の日程はお手元に配付のプリントのとおりでありますが、さきの委員会でお話を申し上げましたように、有識者からの意見聴取を行いたいと思います。  本日は、特定非営利活動法人環境防災総合政策研究機構の理事・事務局長を務めておられます松尾一郎氏をお招きし、最近の災害の課題と市民の被災軽減に向けた家庭等での取り組みについて、1時間程度を目安としてお話をちょうだいし、その後、委員の皆様から質問等を予定しております。その後、その他の事項について御協議をいただきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。  それでは、早速有識者の方からお話をいただきたいと思います。  改めまして、本日お招きをいたしております松尾一郎氏を皆様に御紹介いたします。  松尾さんには、御多用のところ御出席いただきまして本当にありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。  まず初めに、私の方から松尾さんの御紹介をさせていただきます。  松尾さんが現在理事・事務局長を務めていらっしゃいます特定非営利活動法人環境防災総合政策研究機構は、環境保全と防災に関する調査研究普及啓発事業を行い、社会教育の推進を図ることにより、地球環境問題の解決や地域防災力の向上を目的とし、環境保全と防災に関するシンポジウム、フォーラムの開催や地域の防災リーダー育成等を行われております。  松尾さん御自身も、日本災害情報学会事務局次長やカリフォルニア州防災会議国際委員雌阿寒岳噴火対応計画検討会地域防災力推進グループリーダーを務めておられるなど、非常に幅広く御活躍されておられます。松尾さんの略歴はお手元にお配りしてありますので、後ほどごらんいただきたいと思います。  それでは、早速お話をいただきたいと思いますが、お話を伺う際には着席のまま進めさせていただき、またプロジェクターを使用しますので、委員の皆様どうぞよろしくお願いいたします。  それでは、松尾さんどうぞよろしくお願いいたします。 2: ◯松尾一郎参考人  それでは、今御紹介にあずかりました環境防災総合政策研究機構の理事・事務局長をやっております松尾です。この貴重な議会審議中の時間をいただきまして、私の話をさせていただくということで非常に光栄であります。  私自身、ここにあります「参考人の背景」ということで、きょうお配りになっている資料がありますように、台風銀座の九州、この長崎出身です。この組織を立ち上げる前は、シンクタンクに27年間勤めていました。皆さんの中で御存じの方がいらっしゃるかどうかあれですが、東京大学災害社会学を専門にやっていた廣井先生という方がいらしたのです。この方、実は1978年宮城県沖地震のときに現地に入っています。こちらに来ています。調査もしました。いろいろな国の機関とか市町村の方のやっておりますシンポジウムにも参加しております。その方と出会って、防災をライフワークにしたい。一人でも救いたい。自分に何ができるだろうか。一番最後に書いていますが、一人でもいかに救うためにどうすればいいか、そして、やばいという危機感をいかに共有できるかという、そこの仕組みづくりが一番重要ではないかなというふうに考えているところです。  これは、資料を印刷していますので見てください。いろいろな調査をやってきたということです。  きょうお話ししたいことです。まずは、防災ということを考えるときに何がポイントかということを1番目に書きました。二つ目は、仙台市民を襲う自然災害というのはどういったものがあるか。ここら辺は、皆様方、常日ごろから勉強されていらっしゃいますのですべて御存じかと思いますが、私の頭の整理という意味で災害を整理しました。最近の災害に学ぶ、いろいろな災害が起きています。この20年間ずっとやってきていますけれども、結局ずっと同じことの繰り返しのような感じがしていまして、いろいろな対策とか取り組みを進めているといいながらも、やはり犠牲になる方はふえている。変わらない。これって何だろうということです。それと、そういう減災に向けて、防災に向けて必要なことは何だろうか。最後に、私なりの提案という形にしました。  ここが一つポイントだと思うのです。いろいろな災害がありました。ことしの2月27、28日のチリ地震津波もそうですが、やはり思っていることは、減災とか防災には関心層をふやしていく、これが非常に重要であるということです。何もやらないところを考えたときに、大体災害が発生し、どうも津波が来そうだ、あるいは台風が来そうだ、やはり避難しなければいけないなと自主的に避難したり、あるいは多少の呼びかけがあって率先して避難するという方々は大体3割です。いろいろな調査をやっても避難率30%。さらに、中間層という方がいらっしゃいます。気にはなるけれども積極的にみずから動かない、こういう方々が多分3割か4割ぐらいいるのではないかと私は思っています。ことしのチリ地震津波のときも、いろいろな市町村の調査、国の調査を見ても大体避難率は30から70%ぐらいです。場所によっては100%の避難率を見せているところもありますけれども、そこが一つ、中間層が3割どまり。  一番の課題は、無関心層です。私自身もそうです。自分は交通事故に遭わない。災害に遭って死ぬようなことはない。多分我々もそうだと思うのです。日ごろからそう思っている。そういう意味で、自分は災害に巻き込まれないと思っている人たち、こういう方々が3割ぐらいいるのではないか。それは、いろいろな調査をすれば大体見えてくるところです。それで、何を言いたいかというと、この関心層をいかにふやしていくか、そのための施策であり対策であり、それが非常に重要でないかなと思っています。
     次に、よく公助、共助、自助と言います。これも特段説明は割愛しますが、自助は自分で助けるということですから、みずからの行動で災害から逃れるという意味で、そこを自助。共助は、地域の連携あるいは関係機関との連携、そういう中で助かる仕組みづくり。公助は、あくまでも公が助けるということです。それを平常時から、実際に避難するような状況を考えたときに、常日ごろは役割としては公助の役割が非常に高いと思います。いろいろな防災的な取り組みハード整備であったりソフト整備であったり、それは自治体がいろいろな予算を通じて地域の取り組みであったり進めていく、そういう意味では平時は公助の役割が非常に高い。だけれども、実際に災害が発生してその方々が避難しなければいけない、逃げなければいけない、やはりそこの部分は自助なんです。7割から8割ぐらいはそうだと私は思っています。そうすると、そこをどうしていくのか。日ごろからわかっていても、本当にやばいときに自分が逃げなければいけないのかどうかという、これが一番大きな課題だと私は思っています。  それで、こういう防災とか減災を考える場合に何が重要かということで、最後の結論にちょっとかかわってくるんですが、まずは災害を資料に学ぶと。いろいろな災害があります。その災害というのは何が課題だったのか。いろいろなところで発生しています。その災害の特性とか発生機構、そういったことをきちんと専門家が調査し、それを自治体さんであったりとか住民の方々と共有していく、これも当然必要だろうと。さらに、住民の方々がそれではどこへ避難するのかと。行動する、被災回避行動をする。その行動の特性は何だ、何をどう思って避難したか、そこが一番課題です。そこのところを突き詰めていくと、何が必要かということが見えてくると思うのです。組織体制の話もあります。あるいは住民の方々と連携してどうやって防災体制をつくっていくのか、そこも被災したところを見ていくと評価すべきところは幾つかあります。  それを例えば仙台市に置きかえて考えてみようと。1978年の宮城県沖地震もそうですが、過去地震だけではなく、仙台市は土砂災害であったりあるいは水害に見舞われています。そういう意味では、過去の災害をきちんと検証する、そういうことが重要であると。市民の方々が、一人一人はその災害のとき自分がどういうことに見舞われるのかという災害イメージを持っていただく、それだけでも全然違うはずです。そういうことを整理した上で、幾つかの問題点の洗い出しが出てくるのだろうと思っています。あとは、対策を推進するために何をしていけばいいのかということになってくるというふうに考えます。  「ここ10年の思い」ということで、あえて10年にこだわっていないのですけれども、10年前、私は2000年の有珠山噴火、地域に入り込んでいろいろな取り組みを調査し、地域の方々とこの10年いろいろなことをやってきました。東海豪雨については、同様にやる形で市民防災という取り組みをやってきました。地震もところどころでやっています。それを考えたときに、市民を災害から守るために何が必要かということです。  それで、先ほどのことにかかわってくるんですが、いわゆる防災、減災の協働戦略化、これは自治体だけでやれるものではない。先ほど言ったように、本当に災害時は住民みずからが判断して逃げなければいけない。そのためには、市民あるいは住民の防災組織が連携して行動できる、そのためには情報が必要です。自治体はちゃんと避難所を発表する、あるいは気象官署は防災情報を提供する、報道機関はそれを伝える、それぞれ役割があるわけです。それぞれの機関が同じベクトルの方向を向いて行動するということが非常に重要ではないかというふうに考えています。ここの部分は、説明は多少割愛しながらいきます。  皆さんおわかりのとおり、1978年、宮城県沖地震が発生しました。その後、2005年宮城県南部地震が発生して、宮城県沖地震が来たのかと皆さん思ったかもしれません。だけれども、あれは少ししか割れていなかった。まだ大分残っています。間違いなく、政府は10年、20年、30年以内に99%ということを言っています。  地震の揺れということを考えたときに、これは仙台市のハザードマップです。活断層直下型の地震、あるいは海溝型地震も含めて、仙台市内は震度6強、一番揺れるところでそれぐらいの揺れに襲われるということです。それに備えてどうするか。  津波もあります。実は、前回の宮城県沖地震のときも津波はありました。国が想定する被害想定では、これは明治三陸地震ですね、非常に遠い三陸沖で地震が発生したときに、どの程度の津波が襲ってくるかと。これも、現在、仙台市のハザードマップには整理されていますが、最大で四、五メーター、宮城県沖地震の際も1メーターぐらいの津波が発生するのではないかと予測されています。  水害です。水害もばかにはできません。平成6年、昭和61年、市内で浸水被害が発生した。最近の雨の降り方が変わっている。それに対してどうしていくのかと。土砂災害も同様です。  きょうせっかくこういうお時間をいただきましたので、2007年の中越沖地震、柏崎市を中心に震度6強という地震の揺れが発生して、ここに書いているとおり柏崎市内で10人の方が亡くなっています。負傷者が約2,300人になる。私は、昔、阪神・淡路大震災のときに亡くなった方が、どうして亡くなったのかという調査に少しかかわったことがあったのです。阪神のときは80%近く圧死でした。建物の倒壊、家具の倒壊、そういったところに要するに挟まれてしまって呼吸困難になって亡くなった、あるいは実際に物の倒壊等で直撃を受けて亡くなった方、わずか非常に短い揺れでありましたけれども、多くの方が、8割近くの方がそういう被災を受けています。  もしかしたら九死に一生の経験です。今回、中越沖地震のときの調査の目的は、ここに書いていますように、やはり助かった人はいるだろうと。助かった人がどう動いてどう行動したのか。それって、絶対に次の災害に生かせるなということを思って調査をした。これが平成20年3月に、50人の方、柏崎市内仮設住宅に住んでいる。仮設住宅に住んでいるということは、御自宅が全壊、半壊、住めない方々、それだけの被害が出たところだということです。  それで、これは中越沖ではないのですが、地震の揺れってどんなものなのかということで見ていただきたいのですが、御存じのように岩手・宮城内陸地震のときに宮城県栗原市のスーパー丸江というところの監視カメラの映像です。お借りして皆さんにお見せしたいと思います。ここで大体震度6弱から強の間です。こういう揺れだということです。ここら辺くらいからです。ほとんどあれですね、つかまって身動きとれない方々が2番の画面のところで出ているかと思うのです。地震の揺れというのは、これだけのものであると。阪神のときはもっと、震度7ですから揺れの大きさはこれ以上のものであるということです。  私は地震の後1週間ちょっとたってから現地に入りました。いろいろな災害は現地で見ないとわからないのです。何があったか、何が課題かということを整理しようとしたときに、柏崎市内でこれだけ神社が倒壊したり民家が倒壊している。かなり古い、主に頭が重いもの、あるいは古い家屋、それの倒壊事例が非常に多いというのがありました。  ちょっと見づらい資料で申しわけないのですが、仮設住宅に住む50人の方に聞きました。いつけがをしたか、地震の揺れの最中というのが8割近くなんです。50人の方に聞いて42人が揺れの最中にけがをした。どんなけがか、一番多いのは打撲です。次に切り傷、次に擦り傷。あと、どういう状況の中で、例えば物が飛んできてが18人、倒れたり転んだりしてが14人。これは、3年前の中越地震のときに、東京消防庁が調査したデータです。大きくは変わらないのですけれども、50人の方々はこういう状況の中でけがをされたということです。  これも非常に見づらくて申しわけないですけれども、50人の内訳です。男性14人、女性が39人です。これは年齢層です。それと、あと住宅の被害はどうだったか、半分以上が全壊家屋です。大規模半壊は2割、それと半壊が2割強、それと、ではそのときに家具の固定をしていたか。ほとんどしていません。74%の人が家具は固定していません。  地震時の対策として何をやっていたか、家具の転倒防止や落下の防止というのを13人の方がやっていた。家屋の耐震補強はほとんどしてないです。4年前の中越沖地震を経験された方はほとんど経験済みです。柏崎市は震度5強です。5強で倒壊家屋はありませんけれども、4年前にそんな経験をしておきながら、その後に何もやっていない。これって何だろう。多くの人は、もうあれだけの揺れが来ることはない。多分そうです。  もう一つです。ここにあるとおり、地震の発生時どこにいたか。自宅の中です。御自宅にいらっしゃる方が多かったです。その状況は、屋根かわらとか壁が落ちた、あるいは灯篭等がくずれた。たんすや家具等が倒れた。  では地震の揺れがあったときにどうしたか。全く動けなかった30数%、その場でじっと様子を見た、屋外に飛び出した、結構屋外に飛び出している方は多いのです。岩手・宮城内陸地震のときも、確か揺れの最中に飛び出して車にはねられた方がいらっしゃったと思うのですが、後でお話ししますけれども、御自宅はどういう状況かによるのですが、倒壊家屋、その耐震性が確保されていない御自宅の場合は、外に飛び出すというのも一つの手かなというふうには思っています。  次に、いつけがをしたのか。地震の揺れの最中、これが多かったです。揺れがおさまった直後10人。けがの原因は何か。物が飛んできて、倒れたり転んだりして。先ほど言ったように、それをグラフにしたものです。  この辺は後ほど読んでいただければいいのですが、どんな行動をしたのかと。30代の男性の方で12年そこにお住まいの方、50代の男性、あるいは70代で50年近く住んでいらっしゃる方、とっさの行動、家が崩れる感じの大きな揺れだったので、子供を抱きかかえて揺れの中を外に飛び出した。そのときけがをされています。どうしてけがをしたのか。ガラスがぶつかり、ガラスが割れ、要するに御自宅の中でガラスが破損し、その破片が手に刺さったり切った、結構そういう方が多いのです。けがをされている方には。地震の揺れの最中に、割れたものに触ったり転んだり、あるいは行動中にけがをされた方が非常に多いと、そんなことになっています。なぜそんな行動をしたのか。子供がいたから何とか子供を助けようと思った、あるいは夢中で外に出た方がいいと思った、結構そういう行動をされている方が多いです。そこら辺はまた後ほどお話しします。  お話を聞くと、1回目の揺れのとき、2回目にとおっしゃる方が何人かいました。2回目って何だろう。実は、そのときの地震の波形、通常地震の波形というのは加速度しか出ませんから、こういう震度のリアルタイムというのはないのですけれども、とある会社に協力をいただいて、地震のリアルタイム震度というのを見てみたのです。そうしますと、1回目の揺れというのは立ち上がりです。ぼんと縦揺れがどんと来る。そこに徐々にちょっといって、また2回目の揺れってここです。実際人は、大体震度5.5ぐらいになりますとほとんど身動きとれません。その間どんな行動ができるかというところも、一つ自分の命を救うという意味で、それがどれぐらいかというのは大体3秒から4秒ぐらいです。  それをどう知るかというのが一つあるんですが、それでは阪神のときはどうだったのか。阪神も同様に見てみますと、このP波というか立ち上げの揺れがどんと来て、次の2回目の縦揺れに行くまでの間、大体これも4秒ぐらいです。大体地震の波形を見ていると、いきなりぼんといくのは少なくて、一回崩れて、要するに断層が割れて、どんどんどんどん広がっていくという意味で、ここら辺の3秒、4秒の中でどう動けるかというところが一つ課題となります。  この調査から言えることは何かということなんですが、自宅の耐震化、家具や什器の固定、これは一番大事だと思っています。これを絶対進めないと、さっき言ったように次の宮城県沖地震のときも当然仙台市民の方は同じような状況に遭遇するだろうと。前回の地震のときも多分そうだったと思うのです。  次に、先ほど市民に来るべき地震を理解していただくと。これって非常に息の長い話です。ですが、やらなければいけない。家族や仲間を守るという危機感をどう醸成するか。自分自身を守るというのは非常に美しいのですけれども、先ほど言いましたように自分が交通事故に遭うことはない、災害で死ぬようなことはない、皆さんそう思っているわけですから、そういう意味で正常化の偏見ということがあって進まない。やはり子供を守る、家族を守る我が家の防災、これってそういう意味ではモチベーションにつながるのではないかなと、最近私はそう思っています。  次に、いろいろあります。地震に場所なし時なし予告なし。まさにそうです。どこでいつ何が起きるかわからない。日本の中で、唯一、地震が予知できるのではないかと言われているのが東海地震です。あれはひずみ計をちゃんと設置しているし、それから気象庁の24時間の監視体制をとっているから、それができるであろうと思われている。実際できるかどうかはわかりません。ほかの地震はほとんど何もわからない。いつどこで何が起こるかわからない。そういう前提で物事を進めなければいけないということです。あすは我が身と思い、日ごろの備えが家族を救うのです。  先ほど言ったように、あっ揺れだと。その数秒後の間でどう動けるか。身を守る、家族を守る行動、そこをきちんと認識しておこう。それで、地震による人的被災の多くは、家具やあるいは家屋の倒壊による圧死。先ほど阪神の例も言いました。皆さんを襲う家具と電化製品、このキーワードを使ってください。これは私が勝手に考えましたので、仙台市さんで使っていただいて結構です。つくろう宅内シェルター、これ耐震化のことです。自宅全体を耐震化するというのは、これは金もかかるのです。だけれども、多分、静岡県に行かれて話を聞かれたと思います。少しアーム式のベッドがあって、物が倒れてきても寝ている人を守るようなベッドも実はあったり、あるいは一つの部屋、よく地震のときは、その家にもよるのでしょうけれども、私は本当にやばいと思ったらトイレとか風呂場です。意外と密室できちんと守れる仕組みになっている。そういうところを御自宅の中につくっていくという、そういう意味で宅内シェルターという言い方をしています。そういう意味で、古い木造家屋は、まずは部分の耐震化、できなければ外に逃げると、そう思っています。  それで、室内飛散物によるけがが多い、これはまさにそうです。自宅の中の強化というのは家族を守るのです。子供を守る。揺れた後は足元注意です。はだしで動き出すというのはきついと。そういう意味では、なかなかこれも難しいのですけれども、枕元にスリッパを置くとか美しいことを言われる方もいます。そこをどうやっていくか、難しいですね。地震の話はここまでで、あと最後の方に戦略のところでお話しします。  水害から地域を救った住民防災組織の行動というのは、これも最近の豪雨災害と。今、仙台市は、99%宮城県沖地震が発生すると言われていますので、地震災害について非常に関心が高いと思います。ですが、最近の雨の降り方などから考えたときに、風水害も無視はできない。ついこの間も、風があって、かなりの木が市内で倒れましたよね。結果的に助かったのでしょうけれども、ああいうことで実は亡くなった方が何人か世の中にはいらっしゃるのです。そういう意味で、風と水というのも無視はできませんと言っています。  ここで、豪雨災害の特徴とあります。最近は、雨が非常に極端化しています。どっと降るときは降る。降らないときは降らない。それと、これは北日本でも多発している。私は、札幌にこの20数年間、月1回のペースで行くんですけれども、私自身は九州です。九州の雨の降り方が北にもふえているのです。それって何だろう。地球温暖化。日本の近海で台風が発生したり、一番大きな問題は、防災対応しようと思っても猶予時間がない。もう本当に準備することなくどっと雨が降ると。そういう豪雨が非常にふえている。そういう雨の場合は、大河川よりも中小河川なんです。小さい川がはんらんする。内水はんらん、こういったものが非常に課題である。土砂災害もそうです。これを世界的に国連も認めていまして、世界的にずっと見たときに、水災害がどっとふえていますよということを示しています。  昨年、佐用町で水害がありました。これって皆さん御存じかもしれません。実は、町が避難勧告を発表するのがおくれたということで、被災住民が役場を訴えています。こういう水害避難で行政が訴えられたというのは初めてのケースです。意外と、ダムの放流とかそういうのは結構あるんです。だけれども、こういう形で行政が訴えられた事例というのは初めてでして、我々防災関係者は非常に注視しているというところでもあります。  このとき、台風の影響もあって兵庫県でかなりの雨が降りました。そのときに、ちょっと見づらくて申しわけないんですが、これが川の水位の状況です。下の棒グラフは雨です。上に、気象庁を含めていろいろな関係者が防災情報を出しています。注意報、警報、土砂災害警戒情報という防災情報を随時発表はしているんです。そういう情報は当然出ているんですが、そのときに何があったか。私は、この災害の後、3日後に現地に入りました。悲惨でした。この佐用町の中で20名の方が亡くなっているんです。御存じかと思うのですが、町営住宅があって、この3世帯10人近くの方が、避難所がここの学校なんです。この学校に避難する間、この捷水路、側水溝ですね、要するに用水路に流されて、2人は助かっているんですけれども、子供を含めて8人の方が犠牲になっています。実は、まだ行方不明者が1人、子供さんが見つかっていない。この間テレビでやっていたと思うのですが、そういう災害が発生し、痛ましい災害です。このときは、自宅で亡くなった方は1人なんです。残り19人の方は、外を移動中、車に乗っている、そういう状況の中で亡くなっています。  私は、災害の後、現地へ行って、ここに川があって、この川の堤防はここで決壊しているんです。破堤しています。これは応急処置した後ですから、ビニールシートがかぶさっているところは、すべてこの川の堤防が切れています。堤防が大幅に切れて、こういう町中を裂いたというのはここの地区だけです。だけれども、これだけの被害がありながら、ここで死者ゼロ。けがはありましたけれども、亡くなった方はいなかったのです。何でだろう。どうしてここは、これだけの大規模な被害がありながら犠牲者がなかったのか。それが私の疑問点で、それ以降ここに8回ぐらい入って調査をしました。いろいろなことがわかってきました。  ここで、この自治会というのが当時171世帯あって、500人の方がこの周辺に住んでいたんです。久崎自治会。ここの自治会があって、自治会長さんがお一人いて、その下にいろいろな係の方がいる。この係の方が15人いました。これをこの地域の方々は隣保という言い方をしています。これは、昔からこういう地域の中の自主防というよりも、こういう隣保町組織となっているんです。15人の隣保さんがいて、地域ごとに担当しているんです。大体5世帯から15世帯ぐらい面倒を見られています。結論を言うと、ここの自治会の活動が地域を救った。  それで、ここはどうだったか。自宅の浸水というのは、これを見てください。大体床から1.5メーター以上です。床から1.5メーター、2メーターの浸水があったのです。この域内で大体2メーター近くの浸水がありましたから、ほとんどもう冠水状態です、地域内は。全壊がこれだけです。だから8割強が全壊、半壊です。これは判定によりますので、すべて壊れたというわけではなくて、基礎がほとんど洗われてしまって住める状態ではないということです。どんな被害があったかということです。全壊9割弱でした。被害の内訳は、家財道具の被害が最も多い。  自治会はどう動いたか。これも非常に見づらくて申しわけないんですが、まず、私この隣保15人の方に全部話を聞きました。この中で井堰係がいらっしゃるのです。毎日この中で農業用水を少し川から取水している、そのゲート操作をする担当の方がいて、日ごろから川を見ている、あるいはゲート操作のために状況を監視されている方がいるんです。仕事をしながら。その方が、あれっ、この雨ってちょっとやばいんじゃない。相当水が出ているぞと。その方が発議し、何人かの隣保長さんと相談し自治会長に進言しています。これはみんなで集まろうと。これを発議したのが大体6時から7時ぐらいです。自治会長さんはそれを受けて、隣保長会、これは毎月10日に何にもなくても集まるんです。十六、七人の方が。だから、日ごろからフェース・ツー・フェース、顔と顔の見える関係を構築していた。夜の7時から8時ぐらいにかけて、自治会長さんが15人の方々に集まれと呼びかけしています。その方々が老人福祉センターに、消防団の方も含めて集まって、そこで相談をしました。実は、その相談行為もすべて役場からの情報はなしです。彼ら独自に動いているんです。そこで決めたことは、各世帯に避難の呼びかけをしよう。これは何があるかわからない。実際に動き出したのは8時以降です。電話で避難の呼びかけをする。自宅に残った奥さんに頼んで、奥さんから各世帯に御連絡をしていただく、あるいは隣保長さんがみずから自分の隣保に戻って各世帯のドアをたたいて呼びかけをする。まずは避難所に逃げなさい。もし動けなかったらば2階に上がれと、こういう呼びかけをしました。  実際9時20分に堤防が決壊したのです。それまでの間で、実際に逃げられない方は、しようがないので2階にいたというのもあるんですが、少なくとも堤防の近くにいた方々は最寄りの知人宅であったりとか避難所等に逃げられていたのです。堤防が決壊して1,000トン近くの水が来たのです。相当な水です。流速もそれなりにある。ですが、そういう自治会の事前の行動と対応によって救われたと。  だけれども、こういう隣保長さんというのはいろいろな行動をしています。高齢者の方が町営住宅に残っている。ここを救いに行かなければいけない。二、三人の方がグループになって行動されています。どんな行動をしたか。ちょっとこれを画面で見せます。まず、御自宅が四角の赤、その御自宅から、まずは老人福祉センターに集まりました。それからもう一回自宅に戻って、周辺隣保を含めて呼びかけの行動に入っています。さらに、もう一回老人福祉センターに戻り、次に土のうと砂と袋を取りにこの四角のところに行きました。その土のうと砂を含めて、トラックでこの橋のたもとまで運んでいます。だけれども、そこで土のうを積んだはいいんだけれども、水が相当あふれてきて何の役にも立たない。これはまずいということで、車に乗ったままここに移動しています。ですが、この車は途中でとまっているのです。もうほとんど浸水状態で。その間、腰まで水につかりながら、ちょっとした高台まで皆さん何人か移動されています。やはり自宅が心配なので、水の中を胸までつかりながら御自宅に行って家族の安否を確認し、それからこの水の勢いの中、流されながら二、三人の方々で堤防の高台に行き、車を置いていたところもあって、車をまずは避難させなければいけないということで、その前に避難させた車を少し工業団地の方に移動させるためにそこに行っています。それから釣り舟を取りに行きました。釣り舟を取りに行って、ここの舟で高齢者を救助し、この方は避難所まで舟で連れていっています。お一人の方はこんな行動をしているんです。  これが、14人の隣保長さんの行動を全部落としたものです。みんないろいろな行動をしているのです。私は何人かに聞きました。何でこんな行動をするんですかと。まさに自分の命をかけているのではないだろうか。だけれども、それは隣保長だからやったんですかと。何とも言えないと。あのときは非常に気持ちが高ぶっていた。自分の役割というのは、地域を守るという役割があるのでそうしたのかもしれない。だけれども、いろいろな断片的な記憶はあっても、そこで具体的に自分がどう思い、どう行動したかというのは明確に聞けないところもありました。こういう決死の行動が地域を守ったということです。  これから何が言えるか。ここを見てください。自治会の呼びかけを聞いたか、いつごろ避難したか。この久崎地区というのは一番上です。ほかの地区も、実は東京大学とか人と防災未来センターと一緒に調査をしました。我々が調査したこの一番上は、この自治会の呼びかけを聞いた割合の方が非常に多いのです。人数の割合からすると、我々は150人聞いています。ほかにも長谷地区というのは20人ぐらいいますけれども、数からすると非常に割合が高い。この自治会の呼びかけを聞いたという意味では、その方々が避難を始めたタイミングはいつかということを見ています。半数以上の方は、自宅が浸水する前に実は避難しているのです。だから、呼びかけを聞いて、これは避難しなければいけないんだと。先ほど言ったように、自分はもう絶対災害に遭わないと思っている方でも、隣保長さんがそう言うんだから逃げなければいけないんだなと、そういうふうに行動した方が非常に多かったということです。これが何を示すかということです。  もう一つ、この被災回避の実態というのがあります。多くは、屋外へ避難した人、例えば小学校が指定避難所ですから避難所に避難した方というのは非常に少ないです。150名のうち27名、親戚、知人宅への避難が12人、高台とか高所、自分で安全だと思ったところに避難した方、自宅の2階以上に避難する方75名、半数の方は2階避難なんです。それが、最近、内閣府が垂直避難と言っています。高いところに逃げていただくこともよしとし、今の災害対策基本法も含めて見直していきましょうという話はありますが、実態はこうであるということです。これは、災害によって行動と避難の仕方が違うのです。地震の場合と水害の場合と。そこら辺は、そういう視点で御理解いただければと思います。  危険な屋外避難です。外を実際に水が流れているとき、冠水している状態のときに外を歩くということは非常に危険だということをここで示しています。屋外避難した53人のうち、多くの人が危険な状況に遭遇しているという実態です。そこは、避難をどうしていくかということを今後考える意味で、貴重な情報ではないかなと私自身は思っています。  次に、土砂災害で奥さんの機転がだんなさんを救ったという例を御説明します。これは、ことしの7月15日、岐阜県八百津町。これは、同じく岐阜県の可児市というところで、アンダーパスに渋滞中の車が流されて何人かが亡くなっています。親子で、娘さんを車に乗せていて、親御さんが娘をよろしくということで後ろの車に娘さんを預けて車ごと流された。非常にそういう悲劇があった災害です。いろいろな災害、いろいろな悲劇がありますが、私はそういうことを聞いて、どうしたら救えるかなと常日ごろ考えているんです。  ここでも土砂災害がありました。この八百津町の野上地区というところで、ばっと土砂が流れてきて1世帯が全壊状態で、犠牲者3名です。ここからわずか200メーターしか離れていないのですが、この八百津町八百津地区に、ちょうど私が現地に行ったときに、奥さんと娘さんかな、お二人で後片づけをされていたんです。ちょうどお話を聞きました。実は、その方の話は非常に貴重でした。奥様の危機感が御主人を救ったと。この方は、ここに自宅があったのです。ここに御自宅があって、ここは沢なんです。いつも雨が降るときに、流れてくる沢の水を注視している方なんです。なぜそんなことをしたのか。よくテレビで、土砂災害は、水の濁りとか水がとまったり急に流れが変わったりと。それが非常に頭にあって、必要以上によくその日も見られていたそうです。午後5時ごろ、石とか砂まじりの赤い水が出てきたので、これはやばいのではないかと。テレビでもそんなことを言っていたなと。この方はどうしたかというと、駐車場がこちら側にあるので、車の中にいたそうなんです。御主人は外に出ていた。ますます雨がどんどんどんどん強くなってきたので、御主人に早く帰ってこいと連絡をとって、御主人は家に帰ってきたんですけれども、ふろに入りたいと。だけれども、お湯が出なかったので、行水みたいな形で水浴びをして、奥さんは御主人を説得したそうです。ちょっとこれいつもはこんなことないよ、逃げようよと。だけれども、御主人は大丈夫だよと言ったそうです。ここにある、「今まであなたのような人が災害で死ぬんだ」と。奥さん強しです。そこが家庭の防災かなと一つ思うのですけれども、子供たちが避難している避難所に、御夫婦で午後7時過ぎに避難しました。翌朝5時に家に帰ると跡形もなかった。いろいろ崩れたものの中から柱時計が出てきて、8時15分を指していた。わずか1時間後にですね。それ以降、御主人は頭が上がらない。だけれども、先代からここに住み始めて100年以上、先代も含めてこんな経験はなかったと。それだけ雨の降り方が変わっているんだということが一つあります。こういう奥様の機転と行動といったところが家族を救うということの例です。こういう成功例は、どんどん発信したいという私の思いです。  こういう事例に見る住民防災組織と住民の防災行動というのは、どういうことにつながるかと。先ほど久崎地区では、自治会、住民防災組織の防災行動が地域を救ったと。数名の隣保長さんがやばいと思って、それが自治会を動かした。先ほど奥さんは強いと。日ごろからでも災害に関心を示す。だけれども、災害ばかりで、日ごろからこれに関心を示していただいてもなかなか難しいです。だから、防災という取り組みの中で、人づくりをしていくというのが重要ではないかなと思っています。そのためには、報道機関、メディアとの連携というのが重要だと思っています。これは、緊急時に報道を通じて情報を出していただくという取り組みも必要なんですが、日ごろから防災啓発を放送を通じて流していただく、そういう意味でも必要ではないかなと思っています。あと、こういう成功例を地域で共有する。基本は、住民が主体的に考える仕組みをどうつくっていくか。それを我々みたいな組織であったり、仙台市にも大学機関があるわけですから、そういう専門家が地域を支援する体制をいかにつくっていくかということが重要ではないかなと思っています。  そういう事例のもと、それではこれから何が必要かということで、少し家庭ということのキーワードも踏まえながらお話をしたいと思います。  減災に向けて必要なこと。本来であれば防災にしたいのですが、なかなか災害が発生するということ自体をとめることはできませんので、いかに人的被災を少なくするかという意味での減災というふうにとらえてください。  結局、家庭といっても、実際に家庭を構成するのは御主人であり、あるいはおじいさん、おばあさんであり、奥様であり子供たちであり、全体の家族であると。そういう方々が、それぞれ防災・防犯というところに、少し常日ごろの中でかかわっていただく仕組みづくりというのがどうしても必要ではないかなと。そういう意味では、防災・減災というのは家庭から、地域からの双方向性が必要だというふうに思っています。その双方向性は、先ほどの自主防災であり学校防災教育であり企業防災であります。企業防災、最近は企業もBCPですね、事業継続ということで、いろいろな災害に対して事業継続プランというものをつくらなければいけない、そんなことがあります。そういうそれぞれの役割において情報を得て、それを家庭で話し合う、家庭で共有し合うということが一番求められていること、必要なこと、あるいはもしかしたらこれが一番最短ルートかもしれないというふうに思っているところです。  それでは、仙台市民はどうなんだろうということで、防災安全課の方から平成17年に仙台市が調査した市民のアンケート調査があります。これおもしろいのです。皆さんが関心を示しているのは地震災害、もちろんそうですね。宮城県沖地震が怖い。そういう意味で地震災害が非常に高い。次に強風による被害。これって何だろうと思ったのですけれども、それより仙台というのは風の被害というのが多いのかどうか知りませんが、あとは豪雨などによる洪水であったり、その前に火災もありますが、これは自然災害という言い方ではないと思いますので、あえてちょっと割愛しています。そういう意味では、地震に皆さん関心が高い。もちろんそうですね。  そこで、自宅の構造ってどうなんだろうということを見ますと、一戸建て持ち家というのが6割弱です。あとは民間アパートということになっています。  次に、2005年の8月16日、宮城県南部地震が発生しました。そのときにどうだったか。御自宅の中にいた69%、家の中にいたというのが非常に高いです。そうすると、御自宅の中でいかに地震から被災軽減をしていくかということが必要であるということは、ここで一つ見てとれます。  次に、その揺れのときどうだったか。多くは、先ほどの中越沖地震と同じようにその場でじっと様子を見ていた。様子を見ていたのか動けなかったのかわかりませんが、半数近くはそうなんです。これが実態であるということです。  次に、皆さん、だけれども、被害を受けると思うのが8割近くです。平成12年の調査のときは8割弱、大してこれは変わらないです。平成17年調査も、5年後の調査も被害を皆さん受けると思っているのです。8割の方々は。  次に、被害を受けると考える被害は何か。建物の倒壊、次に家具の倒壊や落下、皆さんそこは心配されているのです。停電というのがありますけれども、御自身に影響を与える家具の転倒や落下とか建物の倒壊というのを皆さんそう思われている。だけれども、ここであります耐震診断とか耐震改修と。昭和56年に建築基準法が変わる前の木造住宅を見ますと、行う予定がないというのが7割です。これって何だろう。みんな地震に対しては非常にやばいと思っていらっしゃる。それなりに被害が出ると思っている。だけれども、これだけ耐震化云々含めて意識が低い。意識が低いと言ったら語弊ですね、こういう場で言う言葉ではないかもしれません。なかなか進まないというところが課題であるかなというふうに考えます。  その行えない理由は何なのかということですが、今のままで地震に耐えられると思うからと。今までの地震で耐えられたから次も大丈夫だろうと。先ほどの中越沖地震と同じようなことです。こういう市民調査から考えたときに、しつこいようですけれども、家族を守るプログラムをどう促進させるか。私が書いたように、命を救った成功例というのを広く知っていただく、あるいは耐震化を含めて松竹梅のプランがあってもいいのではないかなと。  これは、皆さんが静岡県でお話を聞かれたことに通じることだと思います。それと、やはり市民任せにせず、行政として家族を守る戦略のもと、目標を設定してフォローアップということも必要ではないかなと。市民の中には、実は防災に熱心な人も多いのです。いろいろなところで私も市民の方々とお話をしますけれども、率先していろいろ考えられたり、いろいろなことを提案したりする方が非常に多いのです。そういう方々の力を活用するということは、当然あるのではないかなと思っています。  そういうことを考えたときに、実は防災協働戦略プランということで、いろいろなところで私は言っているのですが、住民だけではなくて、行政と先ほど言った報道、あるいは専門家、こういった方々をうまくこういうトライアングルを構築し、何を目的とするのか、静岡県のように倒壊ゼロということでやるのか、あるいはゼロなのか、一人でも救うためなのか、家庭の防災なのか、そういう目的と災害種別ですね、地震なのか水害なのか、その災害の規模はどうするんだと。それらの取り組みが市民の中でどう普及されているか、理解されているかということを、ここら辺は多分ずっと回りながらいろいろ進めていく話になるのではないかなというふうに考えています。  それで、ここら辺は、減災に向けた総合的な促進策の提案ということです。私も20年近くいろいろな調査をやってきました。結局は個人であり地域であり、それをいかに災害から逃れるための情報でサポートするかと、この三つの枠組みではないかなと思っています。この書き方は、あくまでも主体別に書いています。実際はいろいろな系図ですね、災害の流れに沿っていくというものは当然あると思うのですが、一番大事なものは個人です。ここをどうやってつくっていくか、それが一つ家庭の防災かなと思っています。  実は、私自身もそうです、皆さんもそうだと思います。これをちょっと見てください。全部表示しています。例えば、これってやばい災害になる、自分が被害に巻き込まれるという認知があるのです。それは、情報や起こっている現象です。あるいは隣近所の声かけ、そこでやばいと気づくわけです。認知する。そこで、本当に自分が避難しなければいけないかどうかという判断は、その方の経験です。知識、あるいは基準でしきい値と言っていますけれども、例えば横断歩道を「赤信号みんなで渡れば怖くない」もあるかもしれませんし、車が100メーターぐらい離れているのでまだまだ渡っても大丈夫、10メーターだったら渡らない、そういうこともあるかもしれません。そういう意味で、個人の判断はまちまちです。基準や行動がわからない。それらは経験によるところが大きい。  さっきの佐用町のところでお話ししました。彼らも、実は平成16年と昭和52年に水害の経験を受けているのです。仙台市民も実は2005年の例の宮城県南部地震もありますし、30年前の1978年の地震の経験もある。そういったところで、自分がどう動くかそこで判断し行動につながると。ここがすべてうまくいかないと、災害から逃れる行動につながらないということです。それを推し進めていくためには、それぞれがきちんと理解をしていただく、行動に結びつくようなことをしなければいけないということです。これは、100%ってなかなか難しいと思うのです。先ほど関心層がいい、もう黙っていても逃げる。だけれども、中間層であったり無関心層をどうやって関心層に持っていくか、そういう努力が必要であるということです。  次に、個人で取り組むべきこと。それはやはり行動力です。その方がやばいと思う危機感、知識、経験、災害観。災害観というのは、その方々が生まれて、例えばおじいさん、おばあさんから、このときの災害はこんなことがあったんだと。日ごろから災害に対して自分はどう思っているかというようなことを知識として得ていく、それは災害観ではないかなと。あるいは、日本人としての特別な災害観というものがあるかもしれません。  私は、この中で、例えば行動力でいうと、ちょっとこれは提案ですけれども、我が家の防災プランと。せっかく家庭のことを考えたときに、それぞれの御自宅でどういう防災プランを考えていくか。防災・防犯プランでもいいんですけれども、こういうものをコンテスト方式で少し市民の方々の意識づけにつながるということも重要ではないかなと。  もう一つ重要なことは、意外と市民の中にもプロがいらっしゃるのです。企業を卒業した、大学を卒業した、そういう高学歴の方がいて、そういう方々を活用して防災の専門家を市民の中で育てていく、これっていうのはあるのではないかなと。行政がすべてやるというのはできません。だから、市民とうまく連携して、そういう専門家を育てて普及展開していく、ネズミ講方式ということかもしれません。言葉は悪いのですが。  それと、災害に対して、その災害自身を理解できる仕組み。それと、どんな現象があって、そのときにどんな被害があるかということをきちんと認知できる。それは防災マップであり、そういうものも使えると思うのです。  学校教育、これは防災教育の充実です。ようやくことしから、小学校の国語の教科書で「稲むらの火」が掲載されるようになりました。これは、うちの法人の理事長河田先生が執筆しています。昔は、「稲むらの火」というのは、津波のときに、濱口梧陵さんという方が私財を投入して堤防をつくった。その前に、南海地震のときに、わらに火をつけて一緒に逃げたといいますか、実際わらに火をつけたというのは、ここにみんないるんだよということを示す意味でわらに火をつけたということであるのですが、それが小学校の教科書にことしから載っています。そういう意味で、比較的文科省も防災教育に少しは関心を示してきたのかなと思うのですが、そういうところの中で、学校教育というところの取り組みをしていく。  自治会の中での教育。先ほど言いましたように、いろいろな主体があって、いろいろなところが連携してやっていくという意味では、そういう広がりが、つながりが重要ではないかなと。  もう一つ、地域の語り部の育成とあります。せっかく32年前に、宮城県沖地震を経験された経験者がいらっしゃいます。もう30数年たっているわけですから、それなりの年になられていると思いますが、そういう災害経験者を活用するということは非常にあるのではないかなと。これは地域の中に当然いらっしゃるわけです。親御さんであり、おじいさん、おばあさんであるというところがあるわけで、そういった家庭の中からそういう情報を共有していくということは当然あるだろうと思っています。  それと、減災のために地域で取り組むべきこと。地域というのは、自主防災、自治会でもあり、学区でありということでとらえていただければうれしいのですが、それはコミュニティであり、制度、仕組みであり、災害文化であり、防災基盤であると。防災基盤というのは、ハードもソフトも含めてです。実効的な住民防災組織への転換ということで、先ほどの佐用町の事例というのは、自主防災組織をつくることが目的ではないです。自主防災組織を活性化するというか、活動していただくということが我々が目指すところなので、そういう意味で、実効的な住民防災組織への転換を図っていくということが必要だと。それって、でも結構大変ですよね。先ほどの佐用町でも、実は、日ごろからあれだけみんなで一緒に動いたわけですから仲がいいのかなと思ったら、そうでもないのです。意外となかなか日ごろのコミュニティーというのは難しいと。人づき合いは難しい。だけれども、本当に必要なときは、みんな同じベクトルの方向に動いていく。それは、皆さんできるのではないかなとは思っています。  それと、いろいろなことがあって、住民防災組織でつくる地域の防災ガイドライン、これもあるのかなと。地域でつくっていただいて、それをコンペするというのもおもしろいのかなということです。  実は、阿武隈川で、私、国土交通省河川事務所の方と一緒になって、防災マップをこの阿武隈川流域の住民の方々、自治会でつくりましょうと。それを日本大学と連携して、日本大学がそのマップのコンテストをやるということなので、そこら辺もサポートしてつくって出しましょうよと。その自治会が表彰を受けたのです。特別賞。その授賞式で自治会長さんが喜んでいましたね。そういうインセンティブ、モチベーションをいかにそこにつなげていくかということだと思います。  あと情報ですか。減災のために防災情報を活用。実は、個人の取り組みだけではなくて、その個人の方々が逃げる、思うという意味では、きちんと正しい情報を迅速に提供しなければいけません。そのためには、気象庁とか河川管理者、あるいはいろいろな機関が情報提供する。仙台市は、避難情報、避難勧告、避難指示という意味で、これは市長が責務として発表される情報だと思うのですが、ここはあまねく市民の方々に情報を伝えるという仕組みが非常に重要ではないかなというふうに思っています。  それに向けては、本当は国としてもっとやらなければいけないことがあるのです。情報の精度を上げる、あるいはその情報というのが本当にやばいのかどうかと市民が思っていただくために、情報の中身をきちんと考えていくということが重要なんですが、最終的に市民を避難させるかどうかという意味では、仙台市の市長の意思決定事項だと私は思っていますので、そこのところはどうつなげて、関係機関との連携も含めながらいろいろ議論していくことが重要。発表したら、その発表が防災無線、いろいろな仕組みで伝えていく、当然報道機関も活用すると。そういう意味では、いろいろな機関との危機感共有ということが叫ばれているというふうに私は思っています。  これは、せっかくですから。実は、すみません、私きょう行きの新幹線の中で、これも入れておこうということで、印刷物に入っていません。防災といってもいろいろなフェーズがあるのです。要は、本当にやばいとき、これを専門家はクライシスマネジメントと言っています。レスポンスです。対応をうまく効率化するかと。効率的に、例えば地震のときはいきなり来ますから、前兆の地震というのはあるかもしれませんけれども、基本はいきなり発生です。発災です。だけれども、水害とか津波は前兆があるわけです。前兆というのは、地震の揺れがあって津波が来る。台風がどんどんどんどん進んでいくという意味では前兆があるわけです。そういう意味では、事前のレスポンスですね、こういうところの対応、直前の対応と平時のリスクマネジメント、これは減災という意味です。ミティゲーション。こういう二つがあるということです。これを一緒くたに議論してしまうとなかなか見えなくなってしまうので、緊急時の対応のために何が必要か、平時から含めてトータルの減災のために日ごろから何をしておくべきかということは、多分計画とか検討の中でいろいろ議論しておくべきものかなというふうに考えます。  皆さん、この中で緊急地震速報というのを聞いたことがある方。どんなものかなというのはまた別です。ただ、お聞きになったことがあるかどうか。これを見ますと、仙台気象庁からこの間本庁でもらってきて、宮城県沖地震が起きたときにどんな今の緊急地震速報が生かされるかという絵です。最初のP波とあるでしょう、広がっているものね、あれは縦波と考えればいいです。S波は横波。P波は、どどどって地震が来る前に縦揺れするではないですか。S波は本格的な揺れです。P波とS波を考えたときに、P波が大体毎秒7キロぐらい進むのです。S波というのは毎秒4キロですから、その時間差を使った、本当の揺れが来る前に市民に伝えるという仕組みが緊急地震速報です。これは気象庁が既に実施中で、この間の福島県沖地震のときも発表されました。宮城県のときは、気象庁によれば、地震が発生して揺れが来る、仙台市民のところに揺れが来る10秒前ぐらいには情報が出せると言っています。そうすると、先ほど地震は来ないと。地震が発生してそこでの対応をどうするかということなんですが、実はこういう事前情報があるということなんです。今は。これをいかにうまく使っていくかと。そこが先ほどのクライシスマネジメントのところです。要するに直前、緊急時にどう対応するかという意味で、使える情報であるということです。  ですが、これは活断層、直下地震には使えません。というのは、気象庁は地震計で計算、要するにデータを受けて計算して発表するまで4秒かかるのです。4秒の間に、実は半径30キロぐらい、もう本震の波は来ていますから、一番揺れるところは使えない仕組みなんです。その課題はあります。そういう意味で、最近はこういう直下で地震をはかるというようなものも、今は実際に市場に出ていますので、こういうものをうまく活用しながら使っていくということがあるのではないかなということです。  さて、ここでワークショップというか、これは仙台市もおやりになっているかと思うのですが、やはり市民を巻き込んでどうやっていくかということで、防災・防犯ということで、市民の方々で、自治会単位でいろいろな意見交換をしたり、まち歩きをしたり、あるいは避難についてどう考えるかという議論をすると。これを我々は地域の機関といろいろ連携してやっている。これは名古屋市の取り組みです。それで、実際には市民の方々に手づくりマップをつくっていただく、こういう取り組みもあるということです。  ほぼ最後になりますが、この本は非常におもしろいのです。古本屋で、見られたことがあるかもしれませんが、関東大震災の後に発刊された、もう絶版になっていますが、「大震火災避難の心得」といいます。これは物すごくよくできているのです。我々の先人、もう同じようなことを考えて、次の災害を考えたときに、人を救うためにはどうすればいいか。その総論の中にあるのは、「用意周到」「沈着機敏」「臨機応変」、これはいい言葉ですね。日ごろからこういう取り組みが必要なのかなというふうに思っています。  ということで、時間的には1時間。つたないお話でしたが、仙台市民の命を守るために、皆さんと何かいろいろなことができればというふうに思っております。どうもありがとうございました。(拍手) 3: ◯委員長  どうも大変ありがとうございました。今、大変貴重なお話を、いろいろ映像を見ながらお話しいただきましたけれども、それでは皆様から御質問等がございましたら、また何かございましたら御発言を願いたいと思います。 4: ◯菊地昭一委員  せっかくの機会なので、先生いろいろなところを歩いていらっしゃるみたいなので、さっき家具の固定の問題ありましたね。家具の固定が非常に大事だということ。特別に進んでいる自治体とかっていうのを聞かれたことございますか。例えば家具の固定が特に進んでいる地域。 5: ◯松尾一郎参考人  静岡県は、「TOUKAI‐0」という取り組みで長年ずっと、この間行かれてお話を聞かれたかと思うのですが、その先代、この防災の担当者がずっとかわらないで、この県下地域のためにいろいろな取り組みをされた方々、歴史的なところがありまして、私は、この静岡県、想定東海地震の対象エリアというのは、非常に耐震化率、家具の固定云々を含めて、全国と比べた場合には高いと思います。だけれども、実態からすれば、先ほど言ったように全国平均からすればまだまだだと思います。私も実は5年前に自宅を、マンションなんですけれども、リフォームの中でほとんど家具を収納タイプにしました。なるべく家の中で移動物がないという取り組みです。答えを言おうとすれば、比較的静岡県は進んでいると思います。 6: ◯菊地昭一委員  今マンションの話が出たので、マンションにいれば当然階が高くなれは揺れの変動が違いますよね。マンションの中の家具の固定というのは、非常に重要だなと思っている。一般家屋よりも。平家よりも。そういうのは、例えばマンションの取り組みで特筆するような取り組みをしているところというのは御存じですか。 7: ◯松尾一郎参考人  あるとすれば、東京の江戸川区かどこかのマンション自治会で進んでいるところはあると思います。帰れば、どこなのかというはまたお示しできると思うのですが。 8: ◯跡部薫委員  どうも先生から貴重なお話ありがとうございました。私ちょっと関連して伺いたかったのが、私も実は経験したといいますか、先生のお話にありました中越沖地震の後、1週間ぐらいに入ったというお話がありました。私もちょうど同じ時期に行ってみて、あのとき非常に鮮明に感じたのが、先ほど写真ありましたが、つぶれたような古い家、かわら、つぶれたようなものも非常にあったのですが、反面、新しい住宅では全然もう普通に生活が続けられているところも多いわけです。家庭内での安全性の向上といいますか、その御家庭、先ほどTOUKAI‐0のお話がありましたけれども、それを高めれば高めるほど、公助も共助も必要ですが、実は自助の部分で大分被害が軽減されたり安全性が守られるという点があるんだなというふうに非常に思いました。  先生御指摘の、仙台市の中でも一戸建てが例えば60%、6割近いとか、あるいは家の中というのが7割近いとか、そういう御指摘、確かに意識調査にありますが、例えば東京都品川区では品川シェルターという、1年半前に私も行きまして、実際、古い木造などに補強して、そしてそこに補助をして、ましてや施工業者は区内の業者に限るとか、そういうものを区がリードして、日大工学部と一緒に開発したんです。これの普及状況はどうですかと聞いたところ、なかなか古い住宅、しかも補強が必要なのは高齢者の住宅が多いんだということもあって、行政側ではせっかくつくったものの普及に非常に頭を悩ませていたということがありました。そんなことで、例えば本市においても実際にその地域によっては古い住宅が多い、高齢者が多い、こういうところで住宅の補強をしていく、あるいは安全性を高めていくということで、当局もそれぞれ大変苦労されているところなんですが、そこに何か一段お感じになることというかアドバイスというか、そういうところはありますか。 9: ◯松尾一郎参考人  多分なかなか耐震化が進まないというのは、必要だと思っている方と、そもそもそういうことを含めて余り関心を持っていないというところがあると思うのです。だから、必要だと思っていて、そこをどうサポートするかというところは、本来であれば一人一人の世界だとしたにしても、地域がなくなってしまうと、その母体である自治体そのもののトータルの先が見えてこないということを考えると、行政としてそこをどう支援していくかという枠組みを考えていくということが重要だと思うのです。  私、先ほど耐震化の松竹梅とお話ししましたけれども、今言われたシェルターの話は、話としては聞いていますし、現地はちょっと見ていないのですけれども。だから、ある意味、そこは例えば耐震診断を含めて松竹梅というのが、30万円コース、50万円コース、60万円コースというものが仮にあったとして、そこの部分というのは、多分地場のいろいろなところと一緒に連携してそういう仕組みをつくっていく。建設会社さんも含めて、民の力を活用しつつ、なるべくコストミニマムで、どこか家の一室だけはきちんと守る仕組みをつくるということです。それを開発連携していくということは重要だと思いますし、ぜひ進めていただきたいですね。答えになっていないかもしれないけれども、それは行政と地域と地域産業とのうまく形づくりではないかなと思うのですけれども、ぜひ仙台市耐震化松竹梅をやっていただきたい。  もう一つ、今の話で、例えば飛散防止フィルムってあるではないですか。ガラスに張る。あれは安いのです。今回、実際に中越沖の調査を見ると、阪神もそうでした。前回の宮城県沖もそうだと思うのですけれども、揺れた後に物を踏んでけがをしているという例が非常に多いですから、ああいう飛散防止フィルムなんていういいものがあるので、おまけにコスト的には全然かかる話ではないですから、そこは何かどこかで成功例をつくる、あるいは成功例をつくって、それを報道と連携してどんどん出していただくということ、そういういろいろな形で普及啓発をしていくということが必要ではないかなと。飛散防止フィルムというのはどうなんですかね、仙台市は。そこら辺は、結構普及率は高いのでしょうか。 10: ◯委員長  調査をしていないですよね。 11: ◯松尾一郎参考人  少なくとも議員さんの御自宅はどうですか。議員みずからやると。(「結構高いですよね」の声あり) 12: ◯委員長  高いですか。 13: ◯松尾一郎参考人  だけれども、家を数百万円でやりかえるよりは、またまたあれでしょうしね。 14: ◯跡部薫委員  もう一つだけ。今先生のお話しのあった啓発ですよね。ワークショップとか例もございますし、地域においてそういう関心を高めていくというのは非常に大切だと思うのですが、逆に今度、いつ来るかわからないことについての継続性というのが問題になると思うのです。我々、先日の調査でも、静岡でHUGを見てまいりました。避難所運営ゲームですね。あるいは災害図上訓練DIGとかそういう非常に工夫されたものというのがある。そういうものも非常に関心を高めるのに効果があるのではないかなと思うのですが、先生からごらんになって、そういうものに対する評価といいますか、また、あるいは今後何か新しいような例とかそういうものがあれば、活性化する意味での何かアイデアというものがありますでしょうか。 15: ◯松尾一郎参考人  仙台市でおやりにやっているのはどういうイメージのものか、HUGとか例のすごろくとか、あるいはDIGは大体イメージはわかりますけれども、事細かくは理解、ちょっと自分自身はわかりません。ですが、あれも結局地域でやるといっても、出てくる方々というのは大体固定化されるのです。まず関心がある人、その関心のある人の呼びかけて出てくる方、だからそこをどうするか。意外と若手は出てこないではないですか。本来そこが必要なのかもしれない。そこの仕組みづくりをどうしていくかと。  実は名古屋で、これは水害で先ほど言ったように図上訓練もやっているんですが、もう自治会長のそれこそ住民グループのトップの方が一斉号令でやっていく、あと阿武隈なんていうのは意外と地域で水防団、消防団がいらっしゃるではないですか、そういう方々は意外と、高齢者もいますけれども、若手の方々もいらっしゃるので、そういう方々を少し一本釣り的な形でやっていくということと、それも継続しないと意味がないですから、地域の中でこれを継続しなさいという話もなかなか難しくて、そこがまたどこでインセンティブを与えていくかです。モチベーションとインセンティブ。そういうものは、もしかしたらコンテストなどがあってもいいのかもしれないです。それは、なるべく金がかからない形でできるはずですから。 16: ◯池田友信委員  私も宮城県沖地震の体験者ですが、本当にそのときはもう子供を抱えて、アパートにいたんですけれども、ともかく外に出て、外にとめていた車に子供を入れて、帰ってきたらもう家の中はガラスだらけと。外に出て助かったなと思っていますけれども。けがなしで。その状況を考えると、とっさの判断というのが非常に重要だなと思っております。  今の我々、地震の問題を考えたり災害問題を考えると、やはり自治会で、地域の中での自主防災組織というものが、いかに危機意識を高めていくかということが一番肝心だと思うのですが、その高め方を、これから個人的よりももっと組織的に面的につぶしていくというふうな、そういう方法が必要だと思うのです。本当にこういう意識を、資料を見て説明を聞くと、地域の人にこれを説明してやりたいなと、こう思います。これを見て、あるいは聞いて、これではいかぬと。我々は、町内の組織をしっかりしなければならないという気持ちになるんです。だけれども、こういう意識をいかに伝えるかということなんです。  そこで、ぜひ先生、もし統計をとっていればなんですが、私は組織的にそういうことで危機意識を高める場面とか、そういう環境とか研修ができるところというのは、しっかりした視聴覚の施設があってこういうものが見れて、あるいは説明が、そういうふうな形で防災センターがあるところであって、そういうものを組織的に、各町内を面的につぶしていくということの中で、レベルアップが出てくるのではないかと思うのです。今の中では、本当に町内でのやり手がなかなかいない中で高齢化になって、こういう危機意識を必死になって熱弁して、地域の人に、若い人たちに、無関心層に言う、そういう環境的なものをいかに我々が考えていくかと。行政も含めてですね。それは、仙台市としては防災センターをつくって、そこに町内を呼んでいくというふうな、ぜひそういうことが必要ではないかなと思うのですが、先生の方で防災センターをつくって、そういう展開をしている、あるいは防災センターのないところという、そういうところは何か調査をされたことがありますか。 17: ◯松尾一郎参考人  すみません、防災センターがあるところ、ないところでの比較というのはやったことがないです。私自身が、兵庫県の人と防災未来センター、この間行かれたと思うのですが、静岡県の防災センター、それと江戸川区にも消防組織がつくった防災センター、火山周辺でいうと幾つかそういう防災拠点みたいなものがあるのです。確かにそこに参加して物を見てという気づきの世界にはつながるだろうと。その気づきをいかに取り組みにつなげていくかというところは、もう一つ必要なんです。見るだけではだめなんです。そこのところが非常に難しいと思うのです。見て、ああおもしろかった、おもしろかったと。こういう災害って大変だねと皆さんそう思う。そこの部分を、それでは地域に帰って家族で何か考えようねというところにつながっていくかどうか。そこはもう一つ必要だと思うのです。施設だけではなくて。だから、きっかけにはつながるでしょうと。そこを地域の中に根差していくためにどうしていくかという、何を言いたいかというと、防災協働戦略プランと言いたい。だから、個別の取り組みではなくて、全体として何が要るんだと。難しいです。全体の中でどうするんだと。その中で物事を進めていくということが重要ではないか。  別に否定はしていません。私もいろいろなところを見に行って、阪神・淡路大震災って物すごかったんだねって、記憶がもう子供たちにはないのです。だから、宮城県沖地震というのは40歳代の人というのはもうほとんど記憶にない。ああ子供のころ揺れたなと。もしかしたら50代の人たちが、30代とかもしくは40代より下の前回の経験がない、ほとんど記憶にない方々の対応というのは、次の宮城県沖地震のときに生かされるかもしれない。そういう意味で、記憶を呼び起こす、もしくはすり込みをするという意味で必要な施設かもしれません。それは、トータルでどうしていくかという枠組みの中で考えていくものかなと思うのですけれどもね。 18: ◯池田友信委員  先ほどの話を聞いていて、隣保組織がありますね。被害を最小限に食いとめたということは、災害対策の中で地域の中の自主防のリーダーだと思うのです。このリーダー育成が、防災センターなどでその活動をつくっていくと。意識を高めていくリーダーをいかに地域でつくるかということ。
    19: ◯松尾一郎参考人  おっしゃるとおり、そこの部分は役割としてあると思うのです。だから、防災拠点として物事を整備する。これは、箱物整備というのはまた事務方は大変かもしれませんけれども、そういう中でどういう機能を持ってやっていくのか。人と防災未来センターのように、あれは全国の自治体、国の機関の防災担当者を研修するという仕組みもあったりとか、静岡はこういう定期的な見学会に活用して、あそこも昔は静岡県立大学が連携して、防災講座をあの枠組みの中でできるようなこともやっていたのです。だから、人づくりという意味では、どこかにそういう場所があって、そこを活用できるというところがあるとすれば、そこに自主防の人たちをどう呼んでくるかとか、そういう仕組みづくりも必要です。ある意味、そういう仕組みをつくろうとした場合に。それは重要なことだと思います。  ただ、そこで一方的な研修だけではなかなか身にならないのです。だから、ぜひ私は、自分自身で言うのもおかしいのですけれども、こういう成功例というのを発信していただきたいと。こういうものをチラシで、私は市の広報誌とか役場の広報誌あるではないですか、防災記事をただで書きますと。100万人の人がいて、そこで見る人はわずか1%、0.何%かもしれないですけれども、そこで少しでも読み取って大事だなということが次につながればいいのではないかなというふうには思っています。いろいろな取り組みが必要だということです。 20: ◯池田友信委員  だから、やはり防災センターで見て、ああこれはよかったで、その辺は初級で、次にもう一回研修に来て、今度はB級とか中級とか組織をつくる、カリキュラムをつくったりいろいろな組織をつくる、それから上級とかそういう研修コースをつくって、それぞれの地域で町内のレベルを上げていくというふうな、そういう進め方をしていかないといけないかなというような感じはするんですけれども。  それから、もう一つ、今地震のことで地域の中でやっていて感じるのは、30年以内に99%来ると言っている。危機意識を高めている割には、危機意識がないのです。何かというと、やはり30年というと私生きていないわとか、そういう30年の感覚を持つのです。30年以内にいつでも来るよという、それが意識のとらまえ方の問題です。  それから、もう一つ、地震は30年だけれども、水害というのはいつでも来る。だから、地域によっては水害に対する問題意識というのが、むしろ、すぐにまた天気予報と比べて、何だまた来るのではないかなどというふうな意識はあります。ですから、その割には、水害に対する意識というか対策の仕方とか、あるいはこれはもう被害を受けている地域だけでなくて、上流地域からやらないとならない。先ほどの映像も山林の部分はほとんど常緑樹でなっているから、あの辺を切りかえていくような形を、これは行政も含めてやらないと、結果として下流が被害をこうむっているだけで済んでいるんですが、その原因は何なのかというと、山の対策も含めて考えないと、この辺はもっと分析しないといけないかなというような感じがするんです。ですから、水害対策は結果としての排水対策だけではなくて、もっと上流も含めた対策を総合的に、今一番おくれているのではないかなというふうに私は感じているんですけれども。 21: ◯松尾一郎参考人  最初に、政府の地震調査研究推進本部が確率評価しているではないですか。確率というのは私は大嫌いでして、30年のうちに起こる確率が、20年が99%、別にそれというのはあした起こってもおかしくないのです。だから、国がそう言っているかもしれないですけれども、仙台市民に対しての言い方というのは、実は200年のうちに6回起きていると。25年から40年サイクルで起きている地震を考えたときに、あした起きてもおかしくないんだと。30年で99%という言い方はしない方がいいのではないかなと私は思うのです。 22: ◯池田友信委員  受けとめ方がちょっとね。危機意識を感じさせないなというような感じがしますね。 23: ◯高見のり子委員  どうもありがとうございました。すごく具体的なお話で、もう本当にこういう話をもっとたくさんの方に聞いていただきたいなというふうに思いました。  最初に先生がおっしゃったように、まず関心層をふやすということが、非常に今仙台市も課題ではないかなというふうに感じているんです。防災訓練に出ても、町内会の役員さんを中心とした同じメンバーが出ていて、本当に参加してほしい皆さんは、若い皆さんですとかなかなか参加されていないなというのを日ごろ感じていたので、そういう点で先生のこれまでの経験の中で何かいい方法がありましたら、ぜひお聞かせいただきたいというのが一つです。  私も30年前の宮城県沖地震は体験しているんですけれども、仙台市も体験している人がどんどん少なくなっていて、そういう点での危機意識というのも、その点も留意しながら考えていかなければならないのではないかなというのは思っていました。  それから、もう一点なんですけれども、佐用町の隣保長の経験なんですけれども、基本はコミュニティーなんだと思うのです。自主防災組織もつくっただけではだめで、常日ごろのコミュニティーがしっかりあって、そういう中でというふうに思うのですけれども、さっきのお話でえっと思ったのですけれども、実際に水害があったときに、隣保長の方が助けに行ったりとか、そういうことをされたということのお話だったんですけれども、何かうまく助けられたからよかったんですけれども、一歩間違うと逆に災害被害者になってしまう可能性もあったのではないかなと、お話を聞いていて、その辺はどのように考えたらいいのかなというふうに、その判断というのですかね、そこら辺というのは何かあったのかなと、そこのところをもう少し聞きたいなと思ったんですけれども。 24: ◯松尾一郎参考人  一番最後の方から答えますけれども、結果オーライなんです。おっしゃるとおり。だけれども、あの隣保長さんの行動がなかったらどうかと考えたときに、実は災害というのはビフォー、アフターで比較できないではないですか。現在進行形なので。もしそれがなかったらどうだったんだろうということ、これは想像しかないのです。まず、その事前の呼びかけがないというのは、ほとんど多分、危機感を持って逃げなければいけないと、自主的に避難した人は助かったかもしれない。ですが、堤防が決壊して1,000トン以上の水が流れてきた。2階に避難した方々の話を何人か聞くと、地域の中を1,000トン近くの水が流れる中で、たくさんの立木とか大木が流れているのです。それが家にどんどん当たってしまう。それによって家が物すごい揺れだったと。いつ壊れるか心配だったと。これもぎりぎりの体験ですよね。もし呼びかけがなくて、もしかしたら時期を逸して避難途中で流された人がいたかもしれない。これはちょっと想像の世界ですから、だからその意味では効果はあったと。  それでは、そういうぎりぎりの対応と九死に一生の経験でよかったのかと思うと、それも私はよくないと思っているのです。次に向けて何が必要かとなると、やはり避難所が1カ所しかないというのは、非常に狭いエリアなんですけれども、本当に水が出ているときはゆっくり歩いて10何分ぐらいかかるところなんです。そういったところで、避難所が学校一つだけというのは厳しい。そうすると、今、町営住宅を新たに新設しようという話があって、私が言っているのは、その屋上を一時待機所にしましょうと。だから、地域の中で避難、そして退避すべき箇所を何カ所か設けるということと、そこにはライフジャケットとか。要するに下がどうなっているかわからないので、棒とかロープとかそういう応急的な資機材をきちんと置いて、地域を救えるような仕組みをしましょうよと、今そういう形で動いているんですけれども、それが非常に重要かなと。だから、ぎりぎりで結果オーライだったけれども、その中で共通の課題はあるので、次に向けて改善すべきことはあるので、ぜひ一緒にやっていきましょうということで、多分これからまた数回現地に入ると思うのですけれども、そういう取り組みをしていこうと思っています。それが一つの答え。  それと、先ほど、地域の中で自治体とか自主防を含めていろいろな取り組みをされて、それを根づかせるためにはどうすればいいか、これは皆さん共通の課題だと思うのですが、いいアイデアはないかと。いいアイデアはありません。冒頭、私が43ページに減災に向けて必要なことと言いました。いろいろな多面的な取り組みが必要だということが一つ。  それと、学校を通じて子供が持ち帰る防災教育素材というのは、それは必ず家庭で話し合ってきてくださいねという一言があるのと、ないのとでは全然違うと思うのです。子供を通じて親を意識改革する。いろいろな取り組みがあると思うのです。そういう意味では、教育分野との連携が重要だと思いますし、それはもしかしたら婦人会も老人会もいろいろなことも、企業防災もそうかもしれません。だから、そこは行政がすべてやる話ではないと思うので、いろいろな部局が連携してやっていくということが必要かなと。  私が小学生のとき、先生からおまえたちが大人になるころ、絶対に海の水位が上がっているよと。それはなぜか。どんどんどんどん地球は暖かくなるということを、40何年前の理科のときに聞いた覚えがあるのです。それが物すごく脳裏に残っているのです。現実となっている。そこのすりこみは重要かなと思います。多面的にやらなければいけないということと、一番効果があるとしたら、もしかしたら防災教育かなと思ったりもしているものですから。 25: ◯郷湖健一委員  私も常日ごろ考えておりますけれども、風水害について、風とか雨とか、要するに河川がきちっとなっていれば、そういう水害から逃れることができると、こう思っております。しかしながら、現在の河川の状況を見ますと、要するに常に流れている川の部分、それから平面があって堤塘があります。そこに木がいっぱい生えているという状況でございます。そういう現場が多々見られるわけでございますけれども、大雨が降った、500ミリ、瞬間的に降った雨もその堤塘で持ちこたえたという経緯がございます。そのときは、きれいに河川が整備されまして整っておったのですけれども、最近、自然保護団体とか野鳥を愛する会とかそういう会がございまして、木は切らないでください、河川内は草を生やしておいてください、こういう団体に行政側は要するにおじけづいて、そのままにしているという状況が多々見られます。一体河川の果たす役割というのは、野鳥を保護するためにあるのか、あるいは雨水を順調に流すそういうお役目で、木を生やすことはだめだよというこういうことは法的にできないのでしょうか。その辺、先生どう思いますか。 26: ◯松尾一郎参考人  すみません、私も河川の専門家ではないので、今の河川法上というのはいまいちわからないのですけれども、いろいろな諸団体がいらっしゃいますので、諸団体の思いがあっていろいろなことを言われる。あるいは、私も防災ということの切り口で、もしかしたら違う団体からすると過激な発言にとられるかもしれない。それぞれの思いを全部そしゃくして、いいものは多分ベストマッチではできないと思っているのです。  河畔林の話というのは、川の中に生える木だとか樹木とか、実際は水を阻害するんです。それから、流下能力を落としていることは間違いないです。だから、実は先ほどの可児市のときも、川があふれてアンダーパスでとまっていた車が流されて、人が3人ぐらい亡くなっております。どうして川があふれたか。実は、川の中州に鬼ケ島というのがある。例の鬼ケ島です。鬼ケ島っていろいろなところにありますけれどもね。だから、そこにさわれない中州があったのです。それって何だろうと。だけれども、ああいう被害が起きてからこそ初めてわかること、露見する話もあるので、なかなか明確な答えがないですけれども、ここでどこまで話していいのかわからないですけれども。 27: ◯郷湖健一委員  常日ごろ、私はそういう木を何で切らないんだと何度も申し上げておりますけれども、そういう団体が優先されるということ自体が、私は川の機能を失っているのでないかというふうに思っております。 28: ◯松尾一郎参考人  流れる水の阻害になっていることは間違いないです。だから、そこはどうするか、また、いろいろそれぞれの地域で御検討していただければというふうに思いますが。 29: ◯佐藤嘉郎委員  昔、私の地元の名取川が200ミリであふれたのです。 30: ◯松尾一郎参考人  名取川ですね。平成6年のときでしょうか。 31: ◯佐藤嘉郎委員  それから、建設省で全部河川の中の木は切ったのです。そのために、今ではもう大きくなってきて、この間の集中豪雨のときも、昭和60何年ごろのときも400ミリ降った。あのとき、堤防の1メートルまで来たんですけれども、越えなかった。それはなぜかというと、30年、40年前に河川の木を切ってもらっていたために木が小さかったわけです。だから、河川法ではあれを切ることはできるんだと思う。ところが、現在、あれから20年以上経過しているから大木になってきている。今言ったように、昔小さいときは鳥も何もいないから感じなかった。大きくなってきて鳥がすむようになった。鳥の好きな人や、なくすなというような声が出てくるのです。だから、管理を早く小さいうちに整理さえすれば、そういう声は上がらないのです。大きくなってくると鳥などがすむようになるから、みんな見に来てああ、あそこだって大騒ぎになる。  現在、名取川上流流域でも400ミリ降ったら完全に堤防をオーバーします。近ごろの大雨は、400ミリぐらいは常時想定しておかなくてはならないくらい降りますから。私は、いずれ、名取川の堤防1メートル今かさ上げ工事をやってきておりますが、あの木があるためにはんらんすると思います。絶対。そう議会でも質問したんですが、なかなか国交省の見解は大丈夫だと。降らないと。そんなことではないです。かつては、増田川がはんらんしたとき、貞山堀にそれを壊すと一気に水が引くのです。引いたのです。壊したから。ここを今度はポンプを備えつけておいてくれと。そのとき県は、50年に1回の雨だから大丈夫だって。1年半たったらまたあふれてしまって、50年に1回っていつの話だということになって、あそこに機関場の立派なのができたのです。だから、そういう話は私は至るところで現実的に聞いているから、理屈やへ理屈はわからないけれども、現実は地震だってそうなので、40年に1回といったって、3年後にまた同じ地震が来る可能性もあるのです。 32: ◯松尾一郎参考人  それはそうですね。確率的にはね。 33: ◯佐藤嘉郎委員  それから、先ほど言っていたように、何十年の確率というのは、だんだんみんな頭から薄れるのです。30年、40年たってしまうと。それよりも、昔の人はよくいい言葉で言った。災害は忘れたころにやってくると。そろそろみんな忘れているんだから来るよと、その訴えの方が一般的には大分広報するには効果があると、こんなふうにも思っておるわけです。何年に1度って、どんどん延びていってしまう。そうすると、みんな経験を受けた人もあれと。やはり災害というのは突発事故だから、私は自分自身がいつどこで災害に遭っても判断できるように、教育と訓練をしておくべきだと、そう思うのです。 34: ◯池田友信委員  水害の件で、仙台の場合ですと、昭和61年の8.5豪雨以来の水害たびたびありますが、堤防がはんらんした水害ではないのです。都市で降った雨の内水処理ができなくて水路から上がるという。ですから、そういう意味では内水のあり方、処理のあり方とか、結局舗装してどんどん早く下流に流すという、そういう方式をとっている状況であれば、当然下流がすぐ上がるということですから、これは市全体で山手から考えなければならないことだと思う。新しい集中豪雨、この間もありましたが、途中の下流に行く手前で、駅前あたりでもう上がってしまうというのが今現状なので、仙台市のまち全体が都市化する中で、雨水調整能力をどう上流でもつかということ、これは考えなければならないと思うので、その辺でいいお知恵なり情報がありましたら、またお聞かせいただければと思っておりますけれども。 35: ◯跡部薫委員  1点だけ。先ほど先生がおっしゃった防災教育、子供を通じた教育、防災にかかわる教育というのは大変私も重要だと思うのですが、文科省のお話がありましたけれども、もちろん全国一律として文科省で取り組むこともあれば、こういう防災の取り組みって、その地域ごと、自治体ごとの防災教育といいますか、子供たちへの公教育って必要だと思うのですけれども、その点について1点。 36: ◯松尾一郎参考人  私も、防災教育は、ずっと火山防災とかいろいろなところでこれまでやってきました。一番ネックは、教育委員会はいいと言っても、結果的に防災教育をやるかどうかというのは学校の校長判断なんです。そこが、一番物事が進まないというところが大きなところ。ただ、学校もゆとり教育をやりつつ、また今の教育実施要領も変えつつ、なかなか時間がとれないという実態もわかります。そういう中で、どういう押し込みができるかどうかということがあって、学校でも何かやろうとしても、前々年度ぐらいから話を持ちかけていって、前年度の教育プログラムを決めるときに入れていくと。一番手っ取り早いのは、各学校では避難訓練をやっているではないですか。火災であったりとか、仙台市ではどういう形でおやりになっているかわかりませんが、そういうところで少し子供たちに物事を教える、あれは訓練の後に先生が多分子供たちを集めてよく話をする時間があるではないですか、そういったときにちょっと、我々みたいな、私はもうどんどんそういったところに行って話をしていますので、子供たちに対してそういうメッセージを伝えていくということも一つつながっていくし、比較的やりやすい部分かなと。学校の1年間のプログラムで何かやろうとしたら、これ物すごいあれですね。  もう一つ、例えば自然災害でいうと、理科の先生方が一番結構かかわりは多いのです。だから、教育委員会とは別に理科の先生の部会というのがあるのです。いろいろなところに。そういう理科部会の中でこの物事のお話をしながら、多分議員さんだったらちょっとこんなことやらないかというようなことでお話をいただけば、理科の先生方の少しマインドがある人は少しずつ物事ができていくと。静岡県みたいに、あるいは防災教育、県とか市としてそういうガイドラインを持ってやっているところもありますけれども、なかなかそれもあれですね、いろいろハードルがあって。 37: ◯跡部薫委員  神戸市では、小学生はもう経験していない子供たちの方が多いわけです。それで、あれだけ厚いスクールガイドみたいな防災教育のカリキュラムをつくって、教育委員会と当局側の連携でできていますけれども、神戸市だからできたという例もあると思うのです。それだけの必要性というのを感じて。ほかの地域ではなかなか厳しいのかなと思うのです。 38: ◯松尾一郎参考人  あるいは修学旅行などでそういったところに行っていただくとか、人と防災未来センターとか、先ほど言われた防災施設があるところがあるではないですか。そこで少し地震の経験を子供たちにしていただくとか、いろいろなやり方があるとは思うのですけれども。 39: ◯ふなやま由美委員  一人の命も救うためにということで、熱心にこれまで取り組んでこられたというのが、きょうの講義を伺って非常に強く感じました。なかなか仙台市でも地震が来るということを認識はしていても、耐震補強工事ですとか、耐震診断を受けても工事になかなか踏み切れないという方が非常に多いわけですが、そういう中でどういうふうにアプローチやサポートを、その人自身が認識できないときに、どういうふうに周りでサポートしていくような枠組みをつくっていったらいいのかなということで、非常に日ごろから悩んでいるんです。  32年前に宮城県沖地震が起きたときには、ある程度の地域コミュニティーという形で、家族のあり方や地域のあり方というのは今とは全く違うような状況だったと思うのです。今、核家族化が進んでいますし、高齢者の方でも一人世帯、二人世帯という中で、実際に行動に足を踏み出せないでいる方をサポートするための取り組みをもっともっと強めていかなければいけないと思うのですが、そういった都市部でさまざまつながりが希薄化している中での取り組みの難しさもあるので、どの自治体でもそうだとは思うのですが、そういう中で先生が取り組んでいらっしゃることだとか、そういう危機感の共有の点でこういう取り組みをもっと学んでいった方がいいのではないかとか、そういった点がありましたら教えていただきたいと思ったのです。 40: ◯松尾一郎参考人  30数年前を考えたとき、そのころも多分仙台市はそうだったかもしれないのですけれども、今、名古屋市で、2000年の東海豪雨と、先ほど言った2001年ぐらいに東海地震の強化地域に指定されて、地域としていろいろな取り組みを進める中で、それにもずっとかかわっているのです。名古屋市、あそこも数百万人です。ただ、名古屋市民のうち大体3割ぐらいは転勤族なんです。だから、ほとんどコミュニティーが成立しない人たちです。そういった方々が都市域に住んでいるわけです。だけれども、それだから何もしないというのは多分あり得ないと思っていて、実は今、水災害ということで川中学区、清水学区、先ほどプレゼンをお見せしましたけれども、そこの自治会と一緒になってやっている。だけれども、そこに出てくる人たちはほとんど60歳以上のいろいろ企業を卒業された方々でもあるんですけれども、非常に取り組みに対して関心は持っているし、継続的にやろうという思いは強い。そういう方々はいるはずなんです。そこをいかに見つけて、そういう成功例を、それこそ仙台だったらNHK含め報道各社いらっしゃるし、防災安全課は田脇さんが率先して報道機関と連携とっているではないですか。ああいう方々を活用して仙台市民に伝えていくということで、少しずつ根づかせていくということは重要かなと。ここも同じように多分2割ぐらいは転勤族ですか。町中は。ほとんどマンションに住んでいる。隣は何しているかよくわからない人たちだということだと思うのです。だけれども、その中でもマインドのある人たちはいるということです。そこはあきらめずやっていくということが重要ではないでしょうか。みずからおやりになったらどうですか。協力します。 41: ◯委員長  よろしいですか。  本当にありがとうございました。私も大変興味深く、またいろいろ感動しながら伺っておりました。これは私なんですけれども、年末を迎えるに当たって、我が家で粗大ごみを出してみていたんですけれども、いかに家の中に使わない、何年も要らないものがあるか、それが棚の上に乗っかっていたり、戸棚の上に乗っかっていたり、地震があればあれが直撃するんだろうなとか、いろいろな物入れを押し出すんだろうなと思いまして、本当にそういう身の回りもちゃんとしておかなければいけないしと、いろいろな思いをしながら先ほどのパワーポイントを見させていただきました。  それでは、どうぞ仙台においでくださって、貴重な講演を。  それで、一番印象的だったのが、6ページにあった平常時は公助でもいいんだけれども、災害時はやはり自助だよというこの広がりぐあいですね、そこを見て、今私たちの委員会の中で、いかにして我が家から、また、先ほどお母さんが大事よという話もありましたけれども、我が家からそういうものをちゃんとしていくかということを学ばせていただきました。  本当に皆様、きょうは松尾さんのお話をいろいろ伺いまして、また皆さんからのいろいろな意見にもお答えをいただきまして、本当にありがとうございました。心から御礼申し上げます。貴重なお話を、今回私どものこの委員会の中でいろいろまた検討させていただき、そして御意見を参考にさせていただいて、この委員会をつくっていきたいと思っております。きょうは本当にお忙しいところをこちらまで足を運んでいただきまして、大変にありがとうございました。(拍手)              〔松尾一郎参考人退室〕 42: ◯委員長  次に、次回の委員会の開催についてですが、次回の委員会は、当局から御報告いただいた内容や、今回の有識者の意見聴取及び他都市視察等を踏まえて、本委員会のテーマであります、家庭等で備える防災対策について、委員相互の意見交換を実施したいと考えております。日程は来る12月21日火曜日、午後1時から開催したいと思いますので、よろしくお願いいたします。  次に、その他でありますが、まず、次回の委員会に向けて皆様から資料等の請求はございませんか。              〔「なし」と呼ぶ者あり〕 43: ◯委員長  なければ、以上で予定しておりました日程を終了しましたが、そのほか皆様から何か発言等がございましたらお願いいたします。              〔「なし」と呼ぶ者あり〕 44: ◯委員長  なければ、以上で防災・危機対策調査特別委員会を閉会いたします。...